理系と文系の価値観

私は自分の大学と一橋大学のゼミの2つの場所で卒論を発表を行いました。私は同じ内容を2回発表してたのですが、教授等からの評価に違いがあることに気がつきました。それは、ポジティブであるかネガティブであるかといった思考の出発点にありました。


ここで一つ言っておきますが、一般的に文系がこうだ!とか、理系がこうだ!とは断言はできません。特に、自分自身の所属している学科が文系よりの理系で、一橋のゼミが理系よりの文系だからです。あと、理系の教授は研究を極めようとしている方々で、一橋の教授はMBAも指導している実務を主導に行っている方である、と言った違いもあります。その為、大きな違いは文系・理系であるにしても、実際は違った要因が絡んでいるかもしれません。


一橋の教授は、発表の評価として「もっとこんな工夫をしてみたら?」「そこの考え方が面白い」など、学生が行った研究に対して非常にポジティブに解釈を行っていました。一つの題材を大きく膨らましたり、実務で使う場合に対しての考察など、結果・考察の独自性を評価し、生徒を伸ばそうとしていました。しかしながら、分析結果を超えたしまった考察をしてしまうなど、膨らましすぎることの問題点は垣間見えました。


逆に、自大学の教授陣は、「本当にそうなのか?」「その分析方法でその結果が言えるのか?」など、非常に細部にこだわりがあります。良く言えば、本質的な点を見ようとしている。悪く言えば、論文の穴探しと感じます。


確かに、話を膨らますことも、正確さを極めることも、両者とも重要なことです。ある友人が理性的・感情的な人が混ざり合ったグループの創造性が最も高くなるはずだー!と言った目的の論文を書いていましたが、今回の件で、その点は物凄く共感しました。要するにどちらの考え方も必要なのです。話を膨らますことができなければ、ちっぽけな議論になってしまうし、逆に細部にこだわらなければ単なる無意味な空想になってしまいます。そんなわけで、企業は様々な個性を持った学生を新卒で採用する必要があるのかなーとふと思いましたとさ。