念願の…

昨日は、大学生活始まってからずーーーーーーーーーっと行きたかったap bank fes '09に初めて参戦してきました。静岡県掛川市つま恋リゾートで行われるそのフェスは、去年は8万人強が参加したらしく、今回も周りを見れば人ヒトひと!!老若男女を問わず、様々な人を音楽は引き付けるんだなぁと関心した。もっとも、Mr.Childrenに多くの人が魅力を感じていることは間違いないんだなぁ。


一昨年、このフェスのチケットが当たり、物凄く嬉しかった。旅行も好きだったし、いろんなアーティストの音楽を多くの人の中で聞けるっていう喜び。

神様ありがとーーーって

でも、当日は台風で中止。仕方がないことだと思ったけど、やっぱり残念な気持ちとやるせない気持ちってのがあったな。悔しすぎてその日はなぜか現地に行き(往復で6000円近くかかった)、つま恋までバスに乗り、友達と豪雨の中で記念撮影したっけな。。

そんな思いがあって、2009年7月18日。チケットを片手に東海道線に乗るのでした。


ライブ中は、肌が痛くなるほどの照りつける暑さ。時どきほっぺたに当たる心地よい通り風。体の水分を潤してくれるEVIAN。横になってもちくちくする芝生。なんか野外ライブって楽しいね。


今回のライブを一言で表すと、興奮・人人人・徒歩。同行してくれたS君に感謝します。

年を取るということ

歌詞を聴きながら、年を取るにつれて感じること、思うことが違ってくるなって思う。昔聴いた全く同じ歌詞、曲なのに、どうも受ける印象が変わる。

自分が生きている環境、経験して得た知識、聴いているときの心が違うってのも影響しているのはわかってる。でも、自分は自分。感動とはいかないまでも、自分は成長したのかな?何か昔とは変わったのかな?ってちょっと嬉しくなったりして。

ライブ中にMr.Childrenの「彩り」が流れてきた。その歌詞の中に

今 社会とか世界のどこかで起きる大きな出来事を
取り上げて議論して
少し自分が高尚な人種になれた気がして
夜が明けて また小さな庶民


憧れにはほど遠くって 手を伸ばしても届かなくて
カタログは付箋したまんま ゴミ箱へと捨てるのがオチ
そして些細な生き甲斐は 時に馬鹿馬鹿しく思える
あわてて僕は彩(いろ)を探す
にじんでいても 金 銀 紫

ってある。初めて聴いたのは確か2〜3年前頃かな。その時は、この歌詞の意味があまりピンとこなかった。いや、少しは分かっているように思っていたのかもしれない。でも、今そのことを客観的に考えると、単に音やメロディーとして歌詞を捉えてたのかな。。

今はどうも違った印象を受ける。

友達や社会人と社会や世の中の風潮のことを議論している、そんな自分がちょっと誇らしく、カッコ良く思っていた。この歌詞で言うと、他の人よりも「高尚な人種」になっている気がしていた。

高尚な人種だと自己陶酔しているだけでは?人より優秀であることは自分にとってどんな意味を持つんだ?って思い始めてきた。


人と比べること。世の中では学歴・企業・資格と言った物差し、学校では試験・点数・成績っていう物差しがある。それで人を評価し、比較し合う。その基準の中での人より高みにいる満足って、自己満足としての意味合いしかないのではないかな。確かに、上記したそれら物差しは、必要ではある。人が人を評価する上で目安となるから、一定の基準を設けるため、目に見えない努力や能力を推し量るためなので。


でも、自分自身がその基準に従って高尚な人間であろうとすることに固執することが、なんだか歌詞通りにバカバカしくなってきた。


だからこそ、「人より上」を目指すのではなく、「自分らしさ」を目指すことが今の自分の課題。この歌詞を聴いて感じた印象。滲んでても金・銀・紫。滲んでいることは何も悪いことではない。逆に、単なる金・銀・紫より、魅力を感じる。


昔よりちょっとは進歩したのかな。今日の自分より明日の自分、明日の自分より明後日の自分が人間として深く広くなれたら良いなと思っています。


自分だけの色を探して。