その人によっての価値

人それぞれ価値観は様々だと最近思う。何を改めて言っているんだ、この男は。と思う人もいると思う。と言うかいるよねw

価値観の自分の中での定義としては、その人が何を大事にしているのか、何にプライオリティーを置いているか。と言うものではないか。例えば、今日、家族で話題に上がった「選挙に行くべきか」と言うことである。選挙の当選者は何千、何万と得票して当選が決まる。だから、自分ひとりが投票しても意味がないのではないか、と言うのが姉の意見。確かに、それは自分が参議院議員インターンに参加し、選挙活動を支援していた時にも思ったことだ。しかしながら、議員の秘書さんが言うには、「たかが一票、されど一票。学生などの若い人たちも選挙に参加すべきだ」とおっしゃっていた。なるほど。それを聞いた時に、自分としては、「自分が所属している共同体で権利を行使しているのだから、権利を享受している人は義務をこなすべきだ」と思った。

そんな話は置いといて、価値観とは人それぞれ立場が違えば変わってくる当たり前のものである。しかしながら、あるセグメントで分けてみると人は同じような性質を見せることには驚きだ。

もともと、そういった人間の性質の同一性はアーカーのブランド研究における5つのパーソナリティはそれを説明できるのではないだろうか。人間はブランドを認知する際に5つの軸で判断しているそうだ。洗練さや刺激的などである。人間がせいぜい5つの軸でしかブランドやその他の事象を判断できないならば、ある同一の性格・性質を持った人が多数いてもおかしくはないのではないだろうか。

そして、ビジネスではそこを見極め、事業に転化していく必要があると考える。切り口としては、マーケティング論でよく使用されている性別や年齢、地域などもそうだが、自分であるセグメントを決める際には頻度や経験なども考慮に入れなくてはならない。

分け方が何が優れているのかについては、人のそれぞれの価値観を知ると同時に、自分の価値観を認識しなくてはならないのだろう。それは、自分と性質が違う人を客観的に見つめることで見えるものがあるし、自分を見つめることで、自分が今一番欲しているものを見つけることが出来る。まぁ、自分を見つめる方が大成しそうな気がするけども。自分の性質は自分が一番理解できるはずだし、感性を信じて大成しているファッションデザイナーやクリエイターがいる。逆に、若いプロデューサーがお年寄りのことを思って創ったプランがお年寄りには毛嫌いされてぽしゃった事例もある。

まぁ、結局は今自分がしなければいけないことは、自分のことをよく知ること。自分の欲望に対して世間的な視点・客観的な視点から押さえつけていたから、あまり自分を出してこなかった。だからこそ、自分の欲望に対してしっかりと認識していきたいなーと。